2017年3月の本

今月の本です。
今月はまあまあ忙しく、金もないので新しい本はあまり紹介できませんが、献本に恵まれました(本当にありがとうございます)。

「今月の本」のルール

  1. 毎月読んだ本をリストにしてブログを更新。
  2. 読んだと言っても、必ずしも全頁を読みきったことは意味しないし、再読したものもある。
  3. とはいえ、必ず入手し、本文に少しでも目を通すことが条件。
  4. コメントを書くかどうかは時間と体力次第。

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ぼくはハルキストではないが、一応これまで出たものは読んできた。惰性と言われれば惰性だが、嫌いではない。
100年後もおそらく名が残るであろう文学者と同時代を生き、書いたものをそのまま(原語で)すぐに読めるというのは、ミーハー的ななにかを度外視しても貴重だろうし、現代日本でそんな経験をさせてくれるのは村上春樹くらいなのかもしれない。
実はまだ読み切れていないが、わりと好きな『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に近いものを感じている。ちなみに私が一番好きなのは、『ねじまき鳥…』と「かえるくん、東京を救う」である。

  • 植村玄輝『真理・存在・意識:フッサール『論理学研究』を読む』

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私が大変お世話になっており、そして尊敬している先輩研究者の方のご著作です。献本していただきました。
私も微力ながら、下読みや索引の作成のお手伝いをさせてもらっております(むしろご厚意で勉強をさせていただいたというのが実情)。
本書は2010年に筆者が提出された博士論文が元になっています。
初期フッサールにかんする記念すべき研究で、現象学に関心のある方はマストバイでしょう。

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いただきもの。仲間がまさに地域アート的な実践もしたし、ぼくのやりたい地方での哲学実践もアーティスト・イン・レジデンスならぬリサーチャー・イン・レジデンスのようなものだと感じるので、大変おもしろく読んだ。

ある対談で著者の藤田さんが述べた、

地域の人に向いているか、美術史なりアカデミズムなりの評価に向いているかで変わると思うんですよね。今、現代美術が地域アートという枠組みのなかで、どっちの評価軸に従うべきなのか悩んでいる最中なんだと思うんです。

という言葉が印象的だった。私の場合、美術ないしアートを哲学や学術研究に当てはめて考えることができるだろう。
西周の事業をすすめることで、津和野や石見地方に住まう市井の人々が西周を通して哲学に魅力を感じ、各々の視点で活用できるようになることを目標にすべきなのか、哲学研究者としての新しいキャリアを開拓したり、哲学研究という専門的な活動の質を高めることに特化すべきなのか。
もちろん立場の問題もあるし、正直な話、書き用によってある程度見せ方を変えることもできる。しかし自分の腹づもりとして本当のところどうなのか、というのはいずれはきちんと考えなくてはならない。

  • 服部隆『明治期における日本語文法研究史』

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こちらもいただきもの。
とりわけ、「Ⅲ 明治期日本語文法研究史の種々相」の第1,2章は西周の文法研究を扱っており、大変勉強になります。
哲学のみならず、法・政治・軍事・日本語文法論と西周はほんとうに百面相的人物なのだなあと感じ入る次第。

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日本に実在した様々な在野研究者の生を紹介しつつ、そこから心得を見出していく貴重な一書。荒木さん自身も在野の研究者である。
私も大学機関に正式に属しているわけではないので、一応在野ということになるが、この本を読んでアカデミアといかなる距離を取るのか(ないし取らないのか)を再考するようになった。