2020年4月の本

新年度のはずですが、コロナのためになかなか清々しい気持ちにもなれません。今月の中旬あたりまでは学会報告の準備で二次文献と格闘していたのですが、中止になってしまい、その後1週間ほどはだらけてしまいました。
今後もどうなることやら分かりませんが、やっていきましょう。

※noteに一瞬移行しましたが、イタリックが使えないなど不便に感じるところがあったので戻ってきました。

「今月の本」のルール

  1. 毎月読んだ本をリストにしてブログを更新。
  2. 専門的な論文などは除く。
  3. 読んだと言っても、必ずしも全頁を読みきったことは意味しないし、再読したものもある。
  4. とはいえ、必ず入手し、本文に少しでも目を通すことが条件。
  5. コメントを書くかどうかは時間と体力と気分次第。

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訳者の藤岡さんよりいただきました。ありがとうございます。
藤岡さんが魂を込めて練り上げた訳文を吟味してからでないと感想を述べるのに憚れるのだが、本国フランスでも『全体性と無限』の校訂が整っていないなかでの今回の翻訳は、率直に言って素晴らしいお仕事だと思います。
丁寧な訳注もさることながら、度肝を抜かれたのは、全版を1文ずつ精査した「異同表」です。些細とは決して言えない異同が一目瞭然で、これまでpoche版をメインにしつつ、あまりにおかしいところをたまに第4版をチェックくらいで済ませていた自分を恥ずかしく思いました。今後の座右の書として勉強させていただきます。

ちなみに私は自分で保存用にもう1冊、検索用にkindleでも買いました。みんなも買おう!

  • 李セボン『「自由」を求めた儒者

版元の方よりいただきました。ありがとうございます。
中村正直西周福沢諭吉と同じく明六社のメンバーで、J. S. ミルの『自由論』やサミュエル・スマイルズ西国立志編』の訳者としても知られている。こうした簡単な紹介からは、いかにも西洋大好きな「啓蒙主義思想家」という印象を持たれがちだが、決してそんな一筋縄ではいかない人物である。
元々儒学畑で研鑽を積み、とりわけ功利主義に関心をもって西洋思想を貪欲に我が物としつつ、官僚としても働き、晩年には貴族院勅選議員と西周と重なる部分も多い。また、やはり時代の寵児福沢諭吉で、他の明六社メンバーの思想家にはこれまで十分に光が当たってこなかったことも似ている。本書は、幕末明治史の近年の成果も盛り込みつつ、中村における西洋思想と儒学との関係やキリスト教理解などを緻密に分析することに成功している。

  • バーナード・ウィリアムズ『道徳的な運』

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読書会用に。ウィリアムズは難しいが、手が届きそうで届かないまさにその難しいところをなんとか思考しようとしている感じがして楽しい。義務論でも功利主義でもない倫理や道徳という観点は個人的にも模索したい領域なので、これを機に頑張って入門したい。

  • 早川タダノリ(編)『まぼろしの「日本的家族」』

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給付金の「世帯」問題にふれて、なぜ政府はこの単位にこだわるのか気になって購入した。
私はまだ・ある程度は官僚も馬鹿ではないと思っているので、個人ではなく世帯(主)を基準とする理由には、手続きの簡略化や使えるリソースの問題もあるのだろうと推察している。とはいえ、既に指摘されているように、ネットカフェ難民を含むホームレスや家庭内暴力を受けている人、事情があって別居している人にはどう給付するのかといった現実的な問題もある。さすがに総務省もそのような懸念への対策を考えてはいるようだが、そもそもの理念の問題として、なぜそこまで「世帯」を重視するのかよくわからない。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200421-00011101-bengocom-soci
そこで本書は、憲法第24条改定案や結婚制度、税制などの分析などを通して、現政権や与党右派、そしてその周辺(日本会議系団体)がどのような「家族」観に固執しているのかを教えてくれる。もちろんここから一足飛びに世帯給付の原因がこの家族観だと決めつけるのには十分ではないかもしれないが、実際にいまの政府の中心メンバーがこんなディストピア的な見方を本気でしていることは知っておくべきである。

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マーロウシリーズもついに完結。これがラストかと思うと——『プードル・スプリングス物語』はまあ「純正モノ」ではないので置くとして——感慨深く読んだ。それにしても、チャンドラーの長編小説を全部読むというのは豊かな読書体験だった。『プレイバック』はそこまで評価が高くないみたいだが、私には結構響いた。多少若さは失いつつも、まだ年の功に縋り付くほどは老いていないマーロウの色気もなかなかいい。
さて、『プレイバック』と言えば、"If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. "というセリフが有名だが、村上訳では「厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない」と訳されている。巷では「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」として出回っているものだ。しかし、「hardとtoughとではいささかニュアンスが異なるし、I would't bealiveは「こうして生きてはなかっただろう」というのがより正確な解釈」という春樹の指摘はまさにそのとおりで、なによりhardをタフと訳すのは、マーロウシリーズでもタフが重要単語なだけに私も賛成できない。
乱暴に言って、マーロウシリーズにおける「タフ」とは昭和的に言えば「ツッパリ」であり、平成風に言えば「イキリ」である。さらに私見を重ねるなら、このセリフにおける"hard"には、冷徹さというよりは、自身の偏屈な倫理観に忠実なマーロウ自身の哀愁が響いており、文字通り「お堅い」ところに肝があるように感じてならない。そんなわけで、もし私が訳すならば、多少踏み込んで、「律儀」なんてのも良いかもしれないと思っている。去り際のセリフであることも考えれば、「律儀でなきゃ生き延びていけないし、優しくなれなきゃ生きるに値しない」というところか。

チャンドラーマラソンの次の候補が決まるまで、ヴォネガットの長編の読み残しを消化しようと思う。半分くらいは読んでいるはずなので、ハーフマラソンみたいな感じ。
本作はあまり知ら調べもせずに読んだのだが、かなり良かった。ヴォネガットはいつだって人間には「軽快な悲痛さ」というものが存在するんだということを教えてくれる。

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こちらはかのSF作家キルゴア・トラウトが初めて登場する作品。『スローターハウス5』も『チャンピオンたちの朝食』も読んでいるので、遅ればせながらという感じだが、いつものように楽しく読んだ。

www.hayakawabooks.com
時宜を得た紹介。個人的にはセクション2の同情にかんする記述なんかが好きだ。訳者解説にもある通り、セクション2以降、病気を主題とした文学をウルフなりに実践してみせるわけだが、次々と溢れるような羅列などは、病の床にあるときに起こるリアルな様を巧く表現しているように思う。