2019年1月の本

明けましたね。よろしくお願いします。今年は結構重要な年になるんだろうという気がしています。今年も初っ端から良い読書ができました。今回は結構ちゃんと書いたので読んでほしい。

「今月の本」のルール

  1. 毎月読んだ本をリストにしてブログを更新。
  2. 専門的な論文などは除く。
  3. 読んだと言っても、必ずしも全頁を読みきったことは意味しないし、再読したものもある。
  4. とはいえ、必ず入手し、本文に少しでも目を通すことが条件。
  5. コメントを書くかどうかは時間と体力次第。
  • イ・ラン『悲しくてかっこいい人』

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いただきものです。ありがとうございました。
イ・ランは1986年生まれのミュージシャンであり、漫画家でもあり、映像作家でもあり、エッセイスト。大晦日に松本が推しており、webのインタビューを読んで、クソな状況にクソと言いながらも、冷笑せずにものを作る姿勢やユーモアのセンスが良いなと思っていたので、とても嬉しい。本書の文章からはそんな彼女の人柄もよく伝わってきた。
これまでエッセイというものをあまり読む機会がなく、うまい距離の取り方を掴めないでいたが、颯爽とした彼女の文章に導かれて頁をめくることができた。

[MV] 이랑 イ・ラン - 임진강 イムジン河

  • チョン・ミョングァン『鯨』

[asin:4794970005:detail]
ずっと読みたいと思っていて、ようやく手に取ることができた。韓国では累計15万部を記録するロングセラーとのこと。
読み始めてすぐ、とんでもないものと出会ってしまったなと思った。二組の母娘関係が軸となる長大な物語であり、女三代にわたるサーガでもある。あとがきで「この小説に登場する女性たちは、ただジェンダーとして女性であるだけでなく、我々の歴史の裏面に存在してきたマイノリティを代表する存在なのだ」という著者の言葉が紹介されているが、この発言は本書を読む上で重要な指針になるだろう。社会に投げかける言葉をもてなかった者、自らの身体や力しか信頼に足るものがなかった者たちが縦横無尽に蠢く怒涛の物語の力に心地よいほどに圧倒された。ここまでストーリーの力にねじ伏せられるような読書体験は久しぶりかもしれない。
訳者である斎藤真理子さんは、数多くの韓国の文芸作品を精力的に翻訳・紹介されている方。こういう優れた訳者がいると大変ありがたい。韓国文学にかんしてはここ数年で一気に日本語訳が刊行されたなあという感じがする。シリーズとして、
韓国文学のオクリモノ晶文社
新しい韓国の文学(クオン)
韓国文学ショートショート きむふなセレクション(クオン)
となりの国のものがたり亜紀書房
Woman's Best 韓国女性文学シリーズ(書肆侃侃房)
など多数存在している。
そんな近年の韓国文学の状況にかんしては、以下の『読書人』での対談記事やSession-22 の【特集】「いま注目をあつめる現代韓国文学、その背景と魅力とは?」が有益である。
https://dokushojin.com/article.html?i=3244dokushojin.com
t.co

去年くらいから改めて注目しているスユ+ノモ(いまは分派して3つくらいに分かれている)を含め、現代韓国におけるアカデミズムや文芸の状況は、いまの日本のそれと比較し、考える上で興味深いと思っており、今後も日本語で読めるものはどんどん読んでいきたい。ゆくゆくはなにかツテを作って、現場にいる人とも話すことができればと思う。

  • 水原 涼『蹴爪(ボラン)』

[asin:4065123062:detail]
こちらもいただきものです。ありがとうございました。鴻巣友季子さんが2018年の日本小説ベスト12という記事のなかで紹介しており、読みたいなあと思っていたところだったので嬉しいです。
表題作は闘鶏が盛んなフィリピンのとある村が舞台。描かれるのはある意味で虚構な世界だが、そこにある貧困や暴力をリアルに描き出す筆力に促されて2日ほどで読了した。ないものねだりかもしれないが、同じ設定でもっと長いものを読んでみたいと思った。闘鶏という主題は面白いし、知恵を奪われ、力や不穏に伝播する空気のなかでどのように生き抜くのか、もっと大きなサーガとして描き出すことができるように感じる。
ゲームの王国 上』とは主題も手法も異なるし、一緒に語る必要はないけれど、いま同世代の書き手の視線が東南アジアを舞台とした貧困や階級、あるいは暴力に向いたのは興味深い。とはいえ、どちらも入念な下調べのもと、自分たちとは無関係な未開を描くオリエンタリズム溢れる異国譚ではなく、そこに込めた想像力をいまの日本社会に注ぐような息遣いが感じられる。
さらに、本書には表題のもの以外にも、「クイーンズ・ロード・フィールド」というスコットランドのサッカーチームのサポーターを描いた作品も含まれている。分量は『蹴爪』と同じくらい。『トレイン・スポッティング』的な群像劇で楽しめた。『蹴爪』と比較するのであれば、表題作が殴る・殺すといった直接的な血や暴力を描いたとすれば、「クイーンズ・ロード・フィールド」は差別や嘘といった(ある意味で)間接的で見えにくい暴力を扱っていると言えるかもしれない。とはいえ、より中心的な課題は喪失であり、友情だ。ぼくは、こういう"魅せられてしまった者たち"の物語はなかなか好きで、読後感も心地よいものだった。

  • 滝川 一廣『子どものための精神医学』

[asin:426003037X:detail]
最近ギリガン以降の「ケアの倫理(学)」に関心をもって少しずつ勉強しているが、倫理的なステータスやアーギュメントにばかり気をつられ、“発達”という部分にかんしてなおざりにしてしまっているなと思っていたところ、それならいい本があると知人に教えてもらった。
本書は精神医学の観点から子どもの精神発達について丁寧に解説してくれるもので、語り口は平明だが、安直さはなく、安心して読み進めることができるタイプの本だ。もちろん(中井久夫的な)精神医学と(ギリガンが問題とする)発達心理学は異なる学問領域だが、児童青年期の「発達」や「心の成長」という事柄について多くを学んだ。職業的に子どもにかかわる人以外にも、身の回りに子どもがいる人(親とか)、私は関係ないと思っている多くの人にも広く読んでほしい。
あとアスペとかADHDとか適当に使っているやつは正座して読んでほしい。私も反省しながらゆっくりとだが読んでいる。

  • 九鬼周造『「いき」の構造』(藤田正勝全注釈)

[asin:4061596276:detail]
岩波文庫版はもっていたが、日本語の哲学ないしは翻訳の哲学のために改めて買ってみた。
九鬼の代表作である『「いき」の構造』を読む場合、研究者は全集版(「いき」の構造 (九鬼周造全集 第一巻))を、そうではない場合は手軽な岩波文庫版(「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫))を手に取ることがほとんどだろう。しかし、もしいまから買うのであれば、素晴らしい概説書([asin:4062586304:title])や現時点での日本哲学史の決定版とも言うべき『[asin:4812217369:title]』をお書きになった藤田正勝先生による丁寧な注解がついたこちらのバージョンをおすすめしたい。
九鬼のespritや「いき」を巡る省察は、特定の自然言語と哲学的な言語の結びつきを考える際に、あるいは翻訳という行為を捉える上で、今なお参照すべきものを多く含んでいると思う。

  • 笹井 宏之『えーえんとくちから』

[asin:4480435751:detail]
若くしてなくなった歌人のベスト歌集。素晴らしい歌にいくつも出会った。笹井の歌については、文庫あとがきの穂村弘による読解もなるほどそうだと納得したが、生きることへの喜びや他の生命やモノとの穏やかな会話が感じられるものが心に残った。その慈しみに、身体のままならなさや死との隣接を読み込むことはおそらく間違いではないのだけれど、笹井の歌は決して悲しい歌ではないと思った。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

悲哀を呟く声(「えーんえーん」と口から)は止めどなく溢れるけれども(延々と口から)、自己への繋縛から解放(永遠解く力)の先には、どのような景色が広がっているのか。それを言葉にすること(永遠説く力)は果たして可能なのだろうか。身体と声をめぐる問題がここにはあるように思えた。

  • エヴァ・フェダー キテイ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』

ケア倫理の勉強として。これから読みます。

  • ディーター・ヘンリッヒ『神の存在論的証明』

[asin:4588099523:detail]
手元にあった気がするが見つけられなかったので買った。ちょっと参照したり。

  • Hans Joachim Störig(ed.), Das Problem des Übersetzens

シュライエルマッハーの翻訳論関連を調べた。春になってから本格的に取り組むので今は取り寄せただけ。
本書は、彼のÜber die verschiedenen Methoden des Übersetzensをはじめ、ドイツ系の思想家による翻訳論が集められたもので便利。
ちなみにシュライエルマッハーの翻訳論は、邦訳・英訳ともに存在し、前者は三ツ木道夫先生が「翻訳のさまざまな方法について」というタイトルで『同志社大学外国文学研究』に、後者は"On the Different Methods of Translation"というタイトルで A. Leslie Willson(ed.), [asin:0826402623:title]に収められている。概要を掴むにあたっては、SEPの記事がやはり便利です。

  • Teresa Seruya and José Miranda Justo(eds.), Rereading Schleiermacher: Translation, Cognition and Culture

[asin:B018RZY1P4:detail]
そんなシュライエルマッハーの翻訳論についての研究論文では、このあたりにまずアタックする必要がありそうだ。