2018年8月の本

お盆を過ぎたあたりから地獄のような暑さもおさまり、夜は窓を全開にしていると寒いくらいでした。
さて、今月で2年5ヶ月に渡る津和野での生活に一区切りを付けました。
様々な出会いがあり、随分辛酸も舐めましたが、ここでの経験は人生の糧となったと思っています。
津和野でのあれこれは、今後各所から活字になる予定ですので、ぜひお手にとっていただけると幸いです。

今後もNPO西周の活動は仕事として続けますが、半年ほどは次のステップまでの充電期間にしようと思います。
「今月の本」で紹介する冊数は減るかもしれませんが、まあよしなに。

「今月の本」のルール

  1. 毎月読んだ本をリストにしてブログを更新。
  2. 専門的な論文などは除く。
  3. 読んだと言っても、必ずしも全頁を読みきったことは意味しないし、再読したものもある。
  4. とはいえ、必ず入手し、本文に少しでも目を通すことが条件。
  5. コメントを書くかどうかは時間と体力次第。

ヘーゲル哲学入門 (SQ選書11)

ヘーゲル哲学入門 (SQ選書11)

  • 髙山 守『ヘーゲルを読む 自由に生きるために』

ヘーゲルを読む 自由に生きるために (放送大学叢書)

ヘーゲルを読む 自由に生きるために (放送大学叢書)

ヘーゲル政治哲学講義―人倫の再興

ヘーゲル政治哲学講義―人倫の再興

西周にもレヴィナスにも関係する哲学者がいるとすればヘーゲルだろうということで、強化月間に。
上二冊は川瀬さんが、藤原先生にものは小田川先生が押していたので。
レヴィナスにとってヘーゲルは(ローゼンツヴァイク譲りで)最大の敵とも言えるが、その本格的な比較考察というのは、まだまだなされる余地があると思うので、少しずつ勉強していきたい。ごっつい先行研究は、Ari Simhon, Levinas critique de Hegelくらいだろうか。

楽しみだった一冊。
未だに左右両陣営から無血革命と称賛されがちな明治維新であるが、では首都たる江戸・東京にいた民衆にとって維新とはなんであったのか。明治維新の見方が変わるであろう一冊。

  • 安田 浩一『「右翼」の戦後史』

Kindleセールにあったのでポチった。真摯な取材に裏付けされた読みでのあるものだった。
戦前と戦後の右翼の変遷、ネトウヨ行動右翼の違い、親米右翼など基礎知識が整理された感じ。
右翼には距離感があるがゆえにあまり知ろうとしなかったので、こういう一冊があってよかった。

ジョルジュ・バタイユ: 行動の論理と文学

ジョルジュ・バタイユ: 行動の論理と文学

遅ればせながら読みはじめた。バタイユ研究の新鋭による力作。バタイユレヴィナス論への切り込みも知る限りもっとも丹念だし、フランス現代の人文学をフィールドにしている人は必読な超力作。みんな図書館とかに入れるべき。

  • 『ゲンロンβ28』

ガブリエルを巡る対談のために。上とあるので、下を待ちたい。
とまれ、まあ主著は読もうよと思った。

  • 山崎 正和『リズムの哲学ノート』

リズムの哲学ノート (単行本)

リズムの哲学ノート (単行本)

友人が絶賛していたので。リズムの哲学というと、私の場合、ベルクソンメルロ=ポンティ、クラーゲス、レヴィナスに目が言ってしまう。本書でも前二者の理論が踏まえられるが、基本的に山崎が練り上げたオリジナルな思考に彩られている。
1934年生まれの筆者渾身の一書だろう。

クワイン (平凡社ライブラリー)

クワイン (平凡社ライブラリー)

- クワイン『ことばと対象』
ことばと対象(双書プロブレーマタ3)

ことばと対象(双書プロブレーマタ3)

翻訳の哲学とかをやる以上、クワインの翻訳の不確定テーゼはやはりそれなりにキャッチアップしておかねばという感じで。
丹治先生のは学部生のときに手にとったようなとらなかったような気がする。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

買いはしたものの、長らく放置していた。引っ越しを機にガガッと読んだ。
途中までは私的ベスト3に食い込むなと思ったが、後半以降はかなり厳しかった。肖像画家の描写や免色さんというキャラクターは良いと思ったが、妻の浮気と復縁、井戸っぽい穴、秘密の通路、丁寧な食事、夢精、行きずりの不思議ちゃんとのセックスといつも通りの装置ばかりで、これは深化と言えるか?というのが正直なところ。妻と浮気と離婚がきて、免色のエピソードがあり、その妻が妊娠と来たところで、不思議な通路で妻を孕ませたのぼくだし、それを確かめなくて良いとなるだろうなと予想がついてしまった。
さらに、やや厳しく言えば、顔のない男の肖像画を描く場面を春樹自身が表現しなかったのは、文学者としてのかげりを感じてしまった。