2018年6月の本

早いもので6月も終わりです。気がつけば津和野生活も残りわずか。
今月初旬はちょっと低迷期で読書も仕事も思ったほど捗らず辛かったが、後半はそれなりにいろんな進展があったのでギリギリ及第点というところ。実質的に好き勝手動けるのは来月でラストなので、夏バテに気をつけつつ、やっていくしかない。

「今月の本」のルール

  1. 毎月読んだ本をリストにしてブログを更新。
  2. 専門的な論文などは除く。
  3. 読んだと言っても、必ずしも全頁を読みきったことは意味しないし、再読したものもある。
  4. とはいえ、必ず入手し、本文に少しでも目を通すことが条件。
  5. コメントを書くかどうかは時間と体力次第。
  • 道場 親信『下丸子文化集団とその時代』

買ったのは結構前だが、少しずつ少しずつ読んだ。
道場氏の遺作となった本書は、一九五〇年代の東京南部でサークル文化活動を展開した下丸子文化集団に焦点を当てたもの。様々な政治的緊張のうちにありつつも、ひとがものを読み、書き、語ることの可能性とその自由さを改めて噛みしめる。

  • 合田正人ら『いま、哲学が始まる。―明大文学部からの挑戦』

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人文系への風当たりが日増しに強まるなか、明治大学は哲学専攻を新設した。
合田先生の序文、創設メンバーとなった計5名の教員による座談会、それぞれの教員視点から哲学への誘いとなる論考――合田先生の論考は、スピノザにおけるヘブライ語文法書を巡ってのもので、こんなハードコアでええのかと思わず舌を巻くなど――の三部構成と言っていいだろう。序文では、西周にも触れており、読んでいるうちに合田先生との出会いなどを思い出した。

個人的なことを言うと、私は修士時代に部外者ながら、合田先生の大学院ゼミでレヴィナスの遺稿集をともに読むという機会に恵まれた。憧れの研究者の前で訳読し、解釈を披露することに緊張を覚えたが、私は生来の生意気で、なんとか認めてもらいたいという下心?もあって随分べらべらと喋ったものだ。そんな私を先生は寛大に迎え、真剣に議論に付き合ってくださった。その後、一身上の都合により東京を離れたあとも、心配してくださり、励ましのメールまでいただいた。
西周についての拙論をお送りしたところ、知人によれば、なんと先日行われた、哲学専攻創設のシンポジウムの場で「私の教え子である」と論文や事業について紹介してくださったとのこと。それを聞いたときには思わず少し泣いてしまった。先週、久しぶりに京都ユダヤ思想学会の懇親会で挨拶したときも、紹興酒をガブガブと飲みながら「彼は私の教え子で、西周について素晴らしい論文を書いた」と言ってくださった。とはいえ、それで自惚れてはいけない。むしろ実力ある若い研究者には先生はあえて「まだまだだな」「もっと!」と発破をかけるのを知っている。今後は「まだまだだな」と、そしてゆくゆくは「彼は私の教え子で、レヴィナスについて素晴らしい論文を書いた」と心から言わせてみせたい。

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教養主義の没落が叫ばれて久しい。本書は、鷲田清一竹内洋吉見俊哉という三名との対談がメインで、最後に大澤さんによる対談を踏まえた解説のようなものが付されている。対談に出てくる様々な固有名には丁寧に注を付すなど配慮した作りになっているし、対談なだけあって読みやすい。大澤さんは、次世代の教養として、「対話的教養」と「現場的教養」なるものを打ち出しているが、じんわりと対談が進むなかで多少の内実がわかるようになっている。個人的には、ラストの解説を前に持ってきて、「教養」という語の語られ方についてざっくりと整理したあと、「対話的教養」と「現場的教養」の概要を提示するなどの方がわかりやすくてよかったのではないかと思う。内容は、大学に入ったばかりの高校生とかが軽く読むのにはいいのではないかな、くらい。

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とても評判の良い入門書。ずっと読もう読もうと思っていたが、月末になってようやく手をつけはじめた。
私はこれまで、レヴィナスがあれこれ言っていることを思想史的な観点から裏付けたり、彼が書いたテクスト内在的に理解できるようにすることを優先してきた。最近もかなりテクスト内在的な論文をゴリゴリ書いたので、気分転換ではないけれど、このタイミングで今一度他の倫理学レヴィナスを突き合わせてみようかなと思った次第。もちろん、これまでも他の学説や倫理思想に興味がなかったわけではないが。この分野の本格的な入門書は本書がはじめてだろう。親切な進め方だが、内容のレベルは落とさないお手本にしたい入門書だと思う。

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上記と同じ関心ゆえに落手。
まだ全然読めていないが、儒教なども取り上げられており、西周の議論なんかはJ.S ミルの功利主義をモデルにしてはいるものの、徳倫理の方面からも研究することもできそうだなと思ったり。

某学会でラポルトを扱ったものがあったのでざっくりと予習がてら読んだ。ラポルト版『固有名』という感じ(伝われ
ラポルトブランショの高弟とも言われ、レヴィナスデリダとも親交があり、バタイユなどにも強く関心をもった文学者である。レヴィナスは、後期の重要な概念である「彼性(illéité)」について、ラポルトの作品と深い繋がりがあることを自ら証言している。本書に収められた小文は、レヴィナスが書いた「幽き沈黙の声」の書評やレヴィナスが度々言及する「幸いなる罪(felix culpa)」を扱っており、なかなか難解だが刺激的だった。

  • O・ヘンリー『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編』

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小気味の良い短編集で、オチもしっかりしているので、隙間時間に楽しめた。

  • 川又 千秋『幻詩狩り』

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夜寝る前に布団のなかで読む用として。こちらも山田正紀『カムパネルラ』同様、伝記的事実を種にSF的想像力でもって虚構の現実ないしは現実的な虚構を作り出すもの。終盤の展開には「ええっ……!」と置いていかれそうになるも、場面の切り替えや詩が生み出す幻想的な記述などが骨太で楽しんで読めた。

  • 小川 哲『ゲームの王国 上下』

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界隈でも絶賛の『ゲームの王国』。ポル・ポトらいわゆるクメール・ルージュによる「革命」の時代を描いた大作。上下巻でそれぞれポル・ポトが君臨する以前と以後が主な場面となっている。上巻では密度の高い政治闘争のドラマが、下巻ではSF的な仕掛けが濃く展開されている。とりわけ物語の鍵ともなる記憶についての記述技法は、記憶という曖昧であり、かつ鮮烈でもあるよくわからなさが文章においても反復されていて見事だ。
主人公たちが様々な権力闘争に巻き込まれながら、ゲームとは?ルールとは?を問うことが物語の基本線になっている。しかし、個人的に興味深かったのは、言葉がもつ様々な力の描かれ方だった。かわいそうなまでに露骨なあだ名にはじまり、演説が巻き起こす民衆の熱狂、論理的な説得や約束が一切通じない現実、見え透いた嘘ばかりが流される党のラジオ、告発による粛清、共産主義用語の拘束力。言語はときに武力よりも強力で、ときに沈黙以上に無力である。それなりの分量だが、奇抜すぎる登場人物と唐突なコメディー要素もあって、ぐいぐいと読めた。

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日本SF大賞作をぼちぼち読んでいくことにした。概要は知っているが、ちゃんと通読したことがなかったので、いい機会かなと。夜寝る前にちょっとずつ…というはずが面白くてついつい頁をめくってしまう。

  • 『アーギュメンツ#3』

arguments-criticalities.com
同世代らによる今を時めく批評系同人誌。
暫定的なものだが、一応感想。正直、最初webに挙がった巻頭言はしっくりこなかった。読んだ今もそこまで「ダーク」や「震え」でまとめられるとも思えないが、「世界」を語ることの陳腐さを指摘する言葉にさえも飽きてきたいま、それでもどうにか世界を主題にしたいという企図は感じた。それも人間によって取り返しがないほど汚染されつつも、人間ではないかのようなものが棲まう世界を。

ポスト、ポストと先鋭化させたアクセルを踏みたがる雰囲気を肌で感じながらも、むしろいまいる世界と、それと対峙する人肌をいかに語るかという意識に導かれて読んだのだと頁を閉じたあとに思った。それは、浪江町のパンジーを植える手であり、この世のものではないものが近づいてくる気配であり、ポスト構造主義以降の全体の探求であり、www以降湧き出しつつある新しいアジアの特異点である。そこには「お兄ちゃんの友達」のように人はいないかもしれないし、「世界は存在しない」のかもしれない。それでもなお。

  • 『夜航』vol. 3

docs.google.com
こちらも批評系同人誌。一回り下の世代も含まれている。
まだきちんと読めていないので、感想は控えるが、ガブリエル論はかなり腰を据えて読むべきだろう。偶然文学論も荒木さんの本も出たタイミングで併読すると楽しいかもしれない。