近況告知:「それぞれの町で」・「やっぱり知りたい!西周」・『四方対象』
多くの方々のご助力もあって、この度いくつかの仕事を公開できるようになりました。
どれも出来る限りの力を振り絞って取り組んだ(取り組んでいる)ものです。
よろしければ、ぜひ手にとって、ないし参加していただけると大変嬉しく思います。
[追記あり]2017年4月の本
新年度がはじまりました。今月の本です。
今年度は抱えている仕事をなんとか軌道に乗せて、私も次のステップに進みたいと思っていますが、あまりに抱えすぎてどうなることやら。
月末に「地方創生と大学」関連、人文学論、高学歴系ワープア関連の書籍を買い漁ったので、GWはそれらをババっと読みつつ、ゲラ修正と執筆の予定。
- 樺山 紘一『西洋学事始』
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樺山先生は、ルネサンスが専門の歴史学者ですが、現在印刷博物館の館長もなさっており、そちらでは「百学連環-百科事典と博物図譜の饗宴」という展示が行われたこともあります。
本書は、古銭学や占星術、紋章学といった現代の我々には耳馴れない、けれども西洋の「学問」の歴史にとっては欠かすことのできない領域にかんする優れた概説書。
ちなみに樺山先生は、上に挙げた展示企画の図版や『歴史の歴史』などで西周についても言及しています。
[asin:4805110341:detail]
- 和辻 哲郎『和辻哲郎全集〈第4巻〉日本精神史研究/続日本精神史研究』
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『続日本精神史研究』に収められている「日本語と哲学の問題」を読みたかったので購入。
下敷きにあるのはハイデガーだが、日本語の「ある」や「こと」への着眼や「日常の言葉から遠のいた哲学は決して幸福な哲学ではない」という和辻の言葉には今なお訴えかけるものがあるように思われた。随所に『風土』に結実するような思想の萌芽が見出される小論で、これだけでなにか言ったり書いたりするのは難しいかもしれないが、読んでおいて良かった。
そしてなにより、締めの数文がエモい。
我我はここにかかる待望の声をあげる。日本語は哲学的思索にとって不向きな言語ではない。しかもそれは哲学的思索にとっていまだ処女である。日本語をもって思索する哲学者よ、生まれいでよ。
- 千葉 雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』
[asin:4163905367:detail]
勉強とか研究というのは、大学に入ってからは当たり前のようにしていたことで、そのなんたるかを立ち止まって考えてこなかったように思う。
しかし、入学してから哲学専攻に進んで院に行ったり、就職してみたりと色々あったなかで、本書の言うような自己破壊と新たな「ノリ」の獲得を何度かしてきたなあと気付かされた。
大学、専門学校、就職とどんな進路に進むのであれ、高校生に読んで欲しい本だと思った。
颯爽とした健康さをもって狂気――バカないしキモくなる――へと進む千葉さんらしい文章に触れて、学部二年の頃に受けた千葉さんの授業を思い出すなどもした。
以前購入しようとしたときは、既に古書価格が高騰していたため、一部コピーで済ませたのだった。
版元のページには、一般書店ないし弘前大学生協インターネットショッピングにて買えるとあり、都市部の方は大型書店で買えるかもしれないが、ど田舎在住の私には難しい。それにそもそも大学生協のサイトには組合員のみ利用可能とあるではないか。
一寸悩んだ末、版元や弘前大学生協に問い合わせたところ、組合員でなくともインターネットショッピングは利用でき、記入欄にある組合番号は無視でOKとのこと。というわけで無事購入できたという次第。下記のリンクよりどうぞ。
https://www.hirosaki.u-coop.or.jp/frm/shopping/book/index.php?id=89
- 横地 徳広・持田睦編著『戦うことに意味はあるのか 倫理学的横断への試み』
弘前大学出版会
編者の横地先生よりいただきました。ありがとうございます。
先に挙げた『生きることに責任はあるのか』の姉妹本とも言うべき一冊ですが、こちらは様々なジャンルを専門とする論者たちがそれぞれの視点から広い意味での「戦い」について扱ったものとなっています。リンクを貼った版元ページにある目次からもその多種多様さは分かるだろうと思います。
まだ全部は読めておりませんが、編者の横地さん関心の幅広さとそこに通底する一貫性との両方が冴える論考群や、気鋭の研究者である宮村さんの(コラムを含む)3連続論考!、そして研究会でもお世話になった佐藤香織さんのローゼンツヴァイク論とレヴィナス論など私の元々の関心に刺さるものばかりで、大変勉強になりました。
こちらもアマゾンでは買えないようですので、上で紹介した弘前大学生協のページから購入されると良いかと思います。
[追記]
拙ブログを見てくださった横地さんよりご連絡があり、『戦うことに意味はあるのか』を購入できる書店情報について教えていただきました。
ネットですとHonya Clubでも購入ができるほか、e-hon(東販)さんの全国書店ネットワークやその他大手書店でも取扱があるようです。リアル書店については、横地さんの研究ブログにその一覧が載っております。どうぞご参照ください。
- 前野 良沢、杉田 玄白ら『解体新書』(酒井 シヅ訳)
[asin:4061593412:detail]
日本史で必ず習う『解体新書』だが、実際に読んだ人はどのくらいいるのだろう。講談社学術文庫に酒井シヅ氏による現代語訳があったので、これを機に少し眺めてみた。
以前西周について発表したときにも述べたのだが、この本の面白いところは「凡例」にある*1。そこでは「訳に三等あり」という翻訳の分類を提示されており、その三区分とは、「直訳」「義訳」「翻訳」である。杉田らが言うところをまとめると、「直訳」は原語そのままの音の表記であり(今で言う音写)、「義訳」は当時の日本語には該当する語がないためその意味を勘案した造語であり、「翻訳」は対応しうる漢語や日本語があった場合の言い換え(今日の狭い意味での直訳に近い)である。この区分はなるほどと思わせる点もあり、現代でもそれなりに有用なものだと思う。
- 丸山 眞男『福沢諭吉の哲学』
そんな福沢の学問観を知る上で、参考になるのが丸山の読解である。少なくとも、上の問題を考えるにあたっては、本書に収められてる「福沢に於ける「実学」の転回」は必読であろう。福沢の「虚学」批判が当時の儒教社会のいかなる側面に向けられていたのか、あるいは彼の言う「実学」がお金になるか否かという拝金主義に基づくものではなく、固定化され順応することだけが求められる社会的・自然的秩序の破壊を目論む、実験精神や学的な検証の重視――これはなにも物理学だけでなく、人文学も含む――を掲げていた点などが明快に示されている。
また、別の本ではあるが、同じく丸山の次の指摘も一聴に値するだろう。
「『実学』という言葉は、朱子学でも心学でも使っている。日常実践の学が本当の学問で、学者の空論はいけないのだという意味で使っているわけです。福沢の場合、『学問のすすめ』のはじめの節だけが有名になったので、日用実践のみを唱えて、それ以外は無意味だととらえていたようによく誤解されていますが、そんなことはない。初期から空理空論の大切さを言っています。『虚学』という言葉を使って。そしてその『虚学』の上に、高尚なる学問を築くのだと。」
『翻訳と日本の近代』, p. 161.
だから、実学/虚学論争において打破すべきは、福沢を誤解してる者や福沢の名を借りて自分たちの目の前の利益の確保に熱心な者であって、福沢ではないだろう。もちろん、現在、そしてこの先の学問論を考えるにあたって、福沢も批判対象にはなりえるのは言うまでもない。
いただきもの。ありがとうございます!
『KOKKO』第3号は以前ひとにお借りして読んだのだが、手許に置いておきたかったし、第10号と『POSSE』vol. 32は未読だったため大変ありがたかった。
決して実家が裕福でもなく、また個人としても経済力のない若者が、学びたいのに学べないという不幸にして絶望的な状況にあると言っても過言ではない現在の日本を冷静に直視し、分析する論考が多く収められている。
文系学部廃止/縮小騒動にせよ、国立大学の法人化にせよ、給付型奨学金の乏しさにせよ、暗い話題ばかりで、自分のみならず、いまも懸命に研究を続けている先輩後輩の将来を思うと陰鬱な気持ちになる…
現在在野にはいるものの、なんとかポジティブなケースを提示しつつ、現実的な解決策を模索したいところ。
- 森山 至貴『LGBTを読みとく』
[asin:4480069437:detail]
本書は、基本的な部分からLGBTにまつわる歴史やデータ等を丁寧に紹介する優れた入門書でありつつ、「良心」などの不確かなイメージの投影を厳しく批判し、正確な「知」や「学問」の必要性・意義を真正面から説く透徹した人文社会学書でもある。今後この分野のはじめの一冊としてひろく読まれるべきだろう。
ただ、重要な概念である「ジェンダー」の説明(p. 48-49)にはやや戸惑った。
というのも、筆者は「…ジェンダーは「社会的性別(ないし性差)」」であるというごく一般的な理解を紹介しつつ、そのあとで「割り当てられた規範の性別による違いのことをジェンダーと言います」、「ジェンダーという規範は…」と述べており、ジェンダーに①社会的性別と②性差に応じて課される社会的な規範の二つの意味を与えている。こうした用法がジェンダー・スタディーズでどれほど一般的なのかわからないが、ちょっと困惑してしまう。さらには、「ジェンダーとは、……他者から女か男かを割り当てられ、それにふさわしい態度や行動をとるよう矯正される、その現象のことを指す」と今度は②が効力をもってしまっている状態のことまで指しており、厳密に言って「ジェンダー」という語がなにを指し示すのかが掴みづらくなっているように思える。
- Jean-Michel Salanskis, L'émotion éthique : Levinas vivant I
[asin:2252037970:detail]
普段「今月の本」にはコアな専門書や論文は載せていませんが、これは色んな人に届くと良いと思ったので挙げます。
フランスにおけるレヴィナス研究、ユダヤ思想、数学の哲学の大家である超人サランスキ先生のLevinas vivantシリーズ(全3巻)をはじめから再読しています。
結構難しい本なので、一緒に読みたいという稀有な方がいれば、ハイペースでレジュメ作るタイプの読書会をしても良いなあ。
- 市野川 容孝『社会』
ここのところ、学問の社会貢献とか社会人基礎力などという言葉がひとり歩きしている感があり、今一度「社会(的なもの)」を考え直す際の水先案内として最適だった。
ちなみに、西周はsocietyを「相生養(あいせいよう)の道」や「社交」などと訳しているが、本書を読んで日本における「社会(的なもの)」の概念史を追いたいとの思いが強くなり、次は著者も薦めている石田雄の著作群を読んでいく所存。
- 三谷 太一郎『日本の近代とは何であったか――問題史的考』
- 辻田 真佐憲『文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年』
- 『アーギュメンツ#2』
https://note.mu/kurosoo/n/n6ef46a762d1b
本書は、編集者や著者らによる「手売り」でしか販売しない異色の同人誌。編者の黒嵜氏と執筆者の一人である米田氏から購入できた。
これだけ流通と売買のシステムが発展した現代日本において、編集者や著者が行商の如くナマで売り歩くのは珍しい。
編者であり、声優論も寄稿している黒嵜が巻頭言で述べるように、本誌に伏流する課題意識は「新しい主語の単位」であるが、私は、この「新たな主語」というものを記述者の視点の問題と読んだ。そこには世界を記述する学知の担い手をどのように設定するかという問いがあり、さらには、眼をもったモノ(者・物)が定位する足場を有限性と突き合わせつつ、いかに確保するかに繋がる。そんな黒嵜の問いかけに暗に明に呼応する個性的な論考が並んでいるが、とりわけ、最初に掲載された「ポスト関係論的人類学/アート」と第された長谷川・古川・森下鼎談は、私が指摘する後者の問題を――コントラストと重なりを同時に含みつつ――抉り出してくれていた。続きは長くなるのでまた今度。
*1:国立国会図書館デジタルコレクションの原文だと、15コマ以降。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2558887/17
黒くて、容量が大きく、仕事にもまあ使える新しいバックパックがほしい
※ちょっぴり追記しました。
※それなりによく読まれているようなので、追記しました(2019/01/06)。
条件
- 色は黒
- 普段でも仕事でも使えるデザイン
- PC(Macbook pro 13inc)用のスペースがある
- 容量は25-30L程度で、厚めの本を入れることができる
- 背面にしっかりとしたクッションがある
- zipのみで開閉可
- 胸のところで止めるベルトがあるとなお良い
という感じ。
それなりの容量で疲れにくく、リュックを背負って立ったままものを出し入れできるものが理想。
最近流行りの?くるくる巻いて止めるタイプとか紐引っ張ってベルトをはめるものとかはあまり好きではない。
ちなみに今は、WILDERNESS EXPERIENCE Kletter small(豚鼻も黒いタイプ)とMYSTERY RANCH 3 Way Briefcase(ネイビー)を使っています。